こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。エフェソ2:7~9
今も、神の恵みは私たちのこの世界において至る所に示されています。神の恵みの御業がなければ、このような命を育む世界はありませんし、私たちも存在することさえありませんでした。天文学のようなマクロの世界においても、顕微鏡でしか見ることができないようなミクロの世界においても、神の恵みは示されています。
しかし、神は私たちがこの地上で味わうよりもはるかにすぐれた祝福をのちの世において現わそうとしておられます。「その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされ」ているのです。
さらに今日の聖句においては、私たちが救われたのは、私たちの行いによるのではなく信仰によるのであるということが強調されています。もしも、多少なりとも私たちの行いによって救われるという要素があるならば、私たちの救いは、ある程度は自分の行いに根拠を持つものとなり、その救いは不確かなものとなってしまうことでしょう。神の前における自分自身の言動は、確かに良いこともありますが、罪を犯したり、不十分な行いしかできないでいることが多いからです。
私たちが救われるのは、100%イエス・キリストの救いの御業に根拠を持ち、神の恵みによるものであるからこそ、確かなものであるといえるのです。
祈り
天の父なる神様、「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。」この事実を確かに受け止めることができますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。