10:2 皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、

 

 10:3 皆、同じ霊的な食物を食べ、

 10:4 皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。

 

出エジプト記13章17節以下には、次のように言われています。「さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。

イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。 一行はスコトから旅立って、荒れ野の端のエタムに宿営した。主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。」(出エジプト記13章17~21節)

 

2節で、「雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ」と言われているのは、出エジプト記のこの個所で言われている出来事が背景となっています。

 

神様は、出エジプト以来、「彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされ」、彼らを荒野に導かれるとともに、昼も夜も彼らと共にいて、彼らを守り導かれたのです。

 

そのようにして、荒野を通って約束のカナンの地を目指しての旅をお導きくださったのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたはイスラエルをエジプトのもとで奴隷となっていた状態から救い出した後、彼らを荒野へとお導きになりました。荒野は、食べるものも水もなく、神により頼む以外には決して生きていくことのできない過酷な場所です。荒野の生活は、信仰を与えられ罪を贖われた私たちにも重なるものです。荒野の生活の向こうにあるものは、神が共におられる中でカナンの地、約束の地に到達するという希望です。私たちもこの希望をもってあなたと共に歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。