16:28 主はモーセに言われた。「あなたたちは、いつまでわたしの戒めと教えを拒み続けて、守らないのか。

16:29 よくわきまえなさい、主があなたたちに安息日を与えたことを。そのために、六日目には、主はあなたたちに二日分のパンを与えている。七日目にはそれぞれ自分の所にとどまり、その場所から出てはならない。」

16:30 民はこうして、七日目に休んだ。

16:31 イスラエルの家では、それをマナと名付けた。それは、コエンドロの種に似て白く、蜜の入ったウェファースのような味がした。

16:32 モーセは言った。「主が命じられたことは次のことである。『その中から正味一オメルを量り、代々にわたって蓄えよ。わたしがあなたたちをエジプトの国から導き出したとき、荒れ野で食べさせたパンを彼らが見ることができるためである。』」

 

「あなたたちは、いつまでわたしの戒めと教えを拒み続けて、守らないのか。」と言われているように、イスラエルの人々は、神の戒めを守ることが出来ませんでした。

 

安息日には何の業をもしてはならないという教えは、その当時奴隷たちは休みなく働かされていましたから、あらゆる人々が一週間に一日は休むことを教えてくださいました。

 

安息日には仕事をしないで休むことを教えてくださるとともに、この日を聖別して、この日には神を礼拝し、自分自身を振り返り、神のための日として、神のために時間をとることを求められたのです。

 

一週間のうちの一日を安息日として覚えることは、新約の時代には主イエスがこの日に復活なさったことから日曜日を主の日として礼拝を捧げるようになりました。

 

しかし、お仕事によっては、病院や介護職にある方々など、休むことが出来ない方々もあると思いますが、これは日曜日でなければならないというものではありません。

 

むしろ、一週間のうちの一日だけを神のために捧げるということではなく、毎日、み言葉を聞き、祈ること、日々の暮らしの中で神のためにある程度の時間をとって、神と共に生きるように生活を整えていくことが大切だと思います。

 

祈り

 

天の父なる神様、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてあなたの神を愛せよとあなたは言われました。心を尽くして愛するために、時間を聖別してあなたとの交わりの時を持ち、あなたのみ言葉を聞き、祈りをささげて、あなたが求めておられる歩みが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。