だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。コリント人への手紙第一10:31
こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。
ローマ人への手紙12章から、クリスチャンの信仰生活の基本線についてみてきましたが、それは今日の聖句をクリスチャン生活の基本と考えることもできます。
イエス・キリストの贖いによって罪を赦され、永遠の命を受け継ぐものとされた私たちはどのように生きたらよいかといえば、それを一言で表現するなら、神の栄光を表すように生きるということができます。
生まれながらの私たちは、自分の栄光をまず第一に求めるのではないでしょうか。自分が褒められたい、出世したい、高い地位について、何不自由ないような暮らしをしたいと考えるのではないでしょうか。自分の生活なのだから、何でも自分の好きなようにすればいいではないかと考えるのです。
しかし、これはある意味では、自分を神とするような生き方です。自分をすべてにおいて中心に置きたいという考え方がそこにはあります。こうした考え方をあらゆる人たちがしていく中で、差別が生まれたり、争いが生まれたり、弱肉強食といわれるような社会制度が生まれてくることになります。
しかし、本来中心となるべきお方、栄光を受けるべきお方は神以外にはありません。この方こそ力があるというばかりでなく、正義、善、真実、聖なるお方であり、愛にあふれたお方であり、私たちの造り主であり、養い主であり、無限、永遠、普遍なるお方だからです。
祈り
天の父なる神様、あなたの憐れみによってこの罪ある者をも救いの恵みを受けるものとしてくださったことを感謝いたします。あなたの栄光を現す日々を過ごすことができますように、御霊によってお導きください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。