そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。エフェソ4:17~19
パウロは、主なる神を知り、神と共に歩むようになったクリスチャンに対して「もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。」と勧めています。異邦人というのは、神を知らないで、自分中心の生活を送っている人のことです。
誰もが、生まれながらに神を知らず、自分中心的な生活をしているものです。ダビデは、詩編51編において、「あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し/御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく/あなたの裁きに誤りはありません。わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです。」(詩編51:6~7)
これはダビデが、バテシバという女性に姦淫を行い、彼女の夫ウリヤを殺害した後で、神の前に自分の罪を告白した時の言葉ですが、彼は、そのような大きな罪を犯したときはじめて罪があると自覚したのではなく、母の胎にいる時から、神に対して罪ある者であったことを告白しています。
偶像の神々は、人の罪を指摘することはありませんが、まことの神に出会うことによって、はじめて真実の自分の姿を知らされていくのです。
祈り
天の父なる神様、あなたは迷い出た羊のように、あなたのもとを離れていた私たちを探し出してあなたのもとに導いてくださいました。真実に私を生かし、まことの命を与えてくださるあなたと共に歩み続けることができますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。