わたしはあなたに知恵の道を教え/まっすぐな道にあなたを導いた。

歩いても、あなたの足取りはたじろがず/走っても、つまずくことはないであろう。

諭しをとらえて放してはならない。それを守れ、それはあなたの命だ。

神に逆らう者の道を歩くな。悪事をはたらく者の道を進むな。箴言4:11~14

 

箴言1章7節には、「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。」と言われていました。あの放蕩息子が自分の罪を悔い改めて父親のもとに帰っていったように、あなたを創造しあなたを今日も生かしてくださっている神を、私の神として受け入れることが出来、主イエスを、わたしの救い主と信じて受け入れるようになることが主を畏れることであるということが出来ます。

 

そのためには、バプテスマのヨハネが、救い主イエスをお迎えする前に遣わされて、人々に悔い改めて主を迎えることを教えたように、自分の罪を認めて悔い改めることが必要になります。

 

悔い改めは、一度悔い改めたらそれで終わるものではなく、私たちの罪の性質は私たちの全体に及び、深く浸透してしまっていますから、幾度でも悔い改めることが必要になることでしょう。悔い改めは、罪を認めて悔いるだけではなく、神に立ち帰ることが悔い改めです。

 

しかしそのようにして神のもとに帰るとき、私たちは神の知恵によって導かれ、「歩いても、あなたの足取りはたじろがず/走っても、つまずくことはない」者へと変えられていくのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたは、アダムに対して「人が一人でいるのはよくない」と言われましたが、それはエバを与えてくださるというばかりでなく、むしろそれ以上に私たち人間はあなたなしには生きられないということを深く覚えることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。