ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。ローマ3:24

ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(新改訳)

 

24節は短い文章ですが、非常に重要なメッセージがここには含まれています。「贖い」という言葉の原語は「救い」と訳すこともできますが、それは「買い戻す」ことを意味しています。つまり、代価をはらって自由にすることです。25節には、「なだめの供え物」(25節)という言葉が出てきますが、それは、キリストの十字架によって「怒りが取り除かれ」「敵意が取り除かれ」たことを表しています。罪のない神の御子の十字架の死によって、罪を赦され、神との和解がもたらされたのです。

 

旧約聖書において「贖う」ということは、出エジプトの出来事、買戻しの権利を持ったボアズがナオミとルツを救ったこと、動物の犠牲をささげることなどにも現わされていましたが、イエス・キリストが、旧約聖書において約束されていた贖いによる救いの約束を実現してくださいました。

 

出エジプト記6章6節には、「それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。」と言われています。これはその当時の奴隷のイスラエルを解放するというだけのことではなく、現在罪と死の奴隷となっている私たちをキリストの贖いによって救い出すという約束でもあるのです。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3:17)

 

祈り

 

天の父なる神様、今日もあなたのみことばを聞き、祈るひとときをお与えくださりありがとうございます。

罪の内に生まれた私は、この罪を贖ってくださる方がなければ、決して自分自身の努力や知恵によっては、この罪をどうすることもできないものでした。そんな私を罪と死の束縛から解放して下さったあなたの恵みを感謝いたします。

感謝してイエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。