イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。マルコ10:21~22
イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。なぜなら、この人は多くの財産を持っていたからである。(新改訳)
ある金持ちの青年が主イエスに、「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」(17節)とひざまずいて質問しました。彼はモーセの律法を守っており、地位も名誉も財産も持っている人でしたが、ひざまずいて質問したところからも、彼が主イエスを試そうとしてではなく、真剣に弟子になりたいという思いも持っていた人ではないかと思われます。
自分は、アブラハムの子孫という血筋の出身であり、モーセの律法もすべて守っている。そうは思っていたのでしょうが、彼自身、自分にはなお欠けたものがあると自覚していたのではないでしょうか。自分には何か欠けたものがあるけれども主イエスはそれを持っておられる。その自分に欠けたものを補うために、この質問を投げかけたのでしょう。
この人は多くのものを持っていました。その意味では今の日本の人たちの多くも物質的には豊かになっていることと重なります。今日の日本ではスーパーマーケットには多くの品物が並び、世界で最も残飯廃棄量が多いといわれています。ものが豊かになるということはありがたいことではありますが、神を信じたり、神に従うためには、そうした持ち物が却って障害になってしまうということが今日の聖句には示されています。
主イエスはこの青年に、「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」と言われました。
これを聞いて、この青年は、「この言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。」と言われています。
神以外の何ものにもより頼むことをやめて、すべてのこの方に委ねる信仰を持って生きることが求められているのです。
祈り
天の父なる神様、目に見えるものが私たちのよりどころになるのではなく、あなた御自身の働きの中で私たちは日々生かされていることを覚えて感謝いたします。すべてをあなたにお委ねして、あなたの召しに応えることができますように聖霊によってお導きください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。