イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコによる福音書 2章17節)

主イエスは、「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」と言われました。この言葉には、多くの人が驚いたのではないかと思います。多くの人は、例えば、品行方正で、能力もあり、実績もある、ほかの人に比べて確かに優れていると思われる人が救われる人であるに違いないと思うのではないでしょうか。
しかし、聖書を通して、神の前における私たち人間を見つめていくときに、聖書の歴史が教えていることは「すべての人間は神の前に罪ある存在である」ということです。人と人とを比較するだけではよくわからないかもしれませんが、神を基準として見るならば、私たち自身を含めて、すべての人が罪ある存在であることが分かります。
ローマ人への手紙3章には、神の基準に照らしたならば、「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。」(ローマ3:10~12)と言われているのです。

言い換えるならば、すべての人が自分自身を罪と死から救い出してくれる救い主を必要としているということです。
私たちも、正直に自分の在り方を振り返るならば、聖書が示しているような罪が自分自身の中にもあるということが分かるのではないでしょうか。
祈り
天の父なる神様、罪ある私たちを救うために、あなたのひとり子をもあたえてくださったことを心より感謝いたします。へりくだって、あなたとともに歩むものとならせてください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。