11:29 だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。

 

イエス・キリストの生涯は、まさにこのような生涯であったといえるでしょう。「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。」

 

パウロの言葉を読むとき、彼がイエス・キリストの霊に導かれている。すなわち聖霊に導かれて言葉を語り、命をかけて福音を宣べ伝えていることが分かります。神は弱っている人、つまづいている人をそのままにしておくのではなく、憐みをもってその人に寄り添って下さるお方なのです。

 

それは、その人のために時間を使う事であり、その人の重荷を自分が引き受けようとすることです。イエス・キリストの十字架は人間の目には愚かなことに見えるかもしれませんが、神の御心を思う時に、むしろそれが必然のことであったことをも教えられるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたの憐みによってひとり子をお遣わしくださり、弱さ、罪深さのうちにある私たちの罪を贖って下さる恵みを感謝いたします。あなたの深く広い愛を私への愛として理解し、その愛にお応えしていくことが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。