それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。ローマ8:12~13
ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです(新改訳)
私たちは、手紙を受け取った時どのように読むでしょうか。ここは何章、ここは何節というように区切って、きょうは〇章までにして、明日また読むことにしよう。というようなことはしません。一気にその手紙を終わりまで読むことでしょう。
当然のことですが、このパウロの手紙を受け取ったローマの人たちは、この手紙を最初から最後まで一気に読んだに違いありません。そして、この手紙を書き写して、他の教会にも送るとともに、繰り返し何回もこのローマ人への手紙を最初から最後まで一気に読んでいたと思われます。
「木を見て森を見ない」という言葉があります。一本の木を見ることにとらわれて、さらに広い森の姿を見ることがないと、物事の本質を見逃してしまうことになります。私たちが聖書を読む場合、1本の木を見るように詳細にその木を理解したり調べたりすることも大切ですが、文脈を理解しつつ、さらには聖書全体のメッセージを受けとめつつ、それらの関連性の中から理解していくことが必要です。
そのように聖書をわたしに語られる神の言葉であるという信仰を持って読んでいく時に、この聖書が如何に驚くべき、驚嘆すべき愛と力と恵みをもって私に語られている救いのメッセージであるかということが見えてくるのです。
肉の思いは、神を喜ばせる思いではなく、自分を喜ばせようとするものでしかありません。私たちは、そこから解放されたのです。つまるところ、聖書の救い、あるいは命は、神とつながることにあるということが出来ます。御霊によって歩み続けることが出来ますようにと願います。
祈り
天の父なる神様、あなたの御霊に導かれて、主イエスの贖いにあずかり、肉の思いによって思いのままに生きてきた者が、神の恵みのうちに生きる者とされていることを心より感謝いたします。罪の世にあって、なおあなたが与えてくださるひかりと命の道を歩み続けることが出来ますようにお導きください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。