9:19 ところで、あなたは言うでしょう。「ではなぜ、神はなおも人を責められるのだろうか。だれが神の御心に逆らうことができようか」と。
9:20 人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。造られた物が造った者に、「どうしてわたしをこのように造ったのか」と言えるでしょうか。
9:21 焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか。
人間は神と共に生きる存在として造られましたから、神を離れて生きるということはあり得ないことなのです。神と人が主従逆転することも許されません。
あくまでも神は神であり人は人なのです。「人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。造られた物が造った者に、「どうしてわたしをこのように造ったのか」と言えるでしょうか。焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか。」と言われています。
私も陶器で湯飲みなどを造ったことがありますが、造る人が何を造ろうとも自由であり、造られたものがそれに口答えすることは出来ません。「もっとこんな姿かたちが良かった、男性(女性)がよかった」などと人間であれば思うことがあるかもしれませんが、人間の場合は、それでも自由な意思が与えられていますので、自分自身でより良いものを目指していくことは出来ますし、自由には責任が伴いますから、人としての責任を果たすような生き方が求められているのです。
祈り
天の父なる神様、私たちが神のかたちに似せて自由な意思を持つ者として造られたこと、そして今日まで支え、育んできてくださった恵みを感謝いたします。造られたものが造り主の思いをよりよく表していくことが出来ますようにお導きください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。