しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。そこで、/「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、/人々に賜物を分け与えられた」と言われています。「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。エフェソ4:7~9
キリスト教以外の宗教や思想は、人間が努力をしてよりよい者になるように成長していこうとするものです。それによって天の高みにまで登ろうとするのです。努力をしてより良い人間になろうとすることは大切なことです。しかし、努力によってできることとできないことがあることをわきまえておかねばなりません。
分かりやすい例を挙げてみましょう。皆さんは水泳ができますか。25メーターなら泳げるという人。1キロメーター泳げるという人。いろいろあると思います。私は水泳が得意だという人もあるでしょう。それなら、太平洋を泳いで横断して日本の横浜からアメリカのロサンゼルスまで行ってくださいといわれたらどうでしょうか。
誰もが、そんなことは不可能だ、ということになるでしょう。聖書には、人は罪のために死ななければならないことが記されていますが、自分の努力によって、自分の罪を無くして死なないように出来る人は一人もおりません。つまり、自分の努力によって天にまで到達できる人は誰一人いないのです。
神の御子イエス・キリストはそのような私たちを救うために、天から降りてきてくださったのです。
祈り
天の父なる神様、私たちを罪と死の中から救い出すために、あなたのひとり子をお遣わし下さり、この罪の世にあって苦しみと痛みを受けてくださった恵みを感謝いたします。
十字架の死に至るまで、低いところまで、降りてくださったあなたの愛と恵みの中を歩み続けることができますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。