あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。ローマ12:2

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(新改訳)

 

パウロは、1章から11章の終わりまでにおいて、神が私たちを愛し、あわれみ、このような豊かな御恵みを与えてくださったことを説明してきました。そのようにして与えられた神の恵み、神の愛に、感謝を持って応答していく生活が私たちには求められています。

 

12章の1節では、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げること、それこそ真の礼拝である」と言われていました。そして2節では、「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」と言われています。

 

この世に倣う、この世と調子を合わせるということは、私たちがこの世に生きている限り必然的にこの世の影響を受け、この世の流れに流されていく傾向があるといえます。美空ひばりの「川の流れのように」という歌がありますが、川の流れのようにこの身をその流れに委ねていくことが、私たちにはやさしいことだといえます。

 

しかし主イエスは言われました。「「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」」(マタイ7:13~14)多くの人々は、この世に倣い、この世と調子をあわせた生き方をするけれども、それは滅びに通じる門に他ならないと言われているのです。

 

むしろ、心の一新によって自分が変えられて、この世に倣うのではなく、神の御心に従い、狭い門から入るような考え方、生き方をするようにと勧められているのです。これは原語では受身で書かれているように、私たちの努力でそのようにするというより、聖霊の働きによってさせていただくことです。御霊が私たちの内に働いて心の一新によって自分を変えてくださるように祈るものです。

 

祈り

 

天の父なる神様、この世に倣うこと、広い門から入るという考え方や生き方が私たちの心に大きく影響を及ぼしていることを思います。特に日本人はそうした傾向が強いのではないかとも思われます。また、自分の思いではなく御心を求める考え方や生き方をするためには、あなたの導きなしには到底できない事を思います。内に働いてくださる御霊によって新しく変えられ、あなたの御心に生きることができますようにお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。